農民の智恵 ヌキズで地下水を水田に利用(その1)
 前号までに、和泉の国の象徴とも云える男里川流域の豊富な地下水の存在についてお伝えしてきました。
 明治の偉大な農民魂はその創意工夫で自然の豊富な地下水を地上で農業用水として利用することに見事成功しました。阪南市の桑畑地区を流れる井関川は玉田山のふもとで小川と合流し、菟砥川(男里川下流)となります。菟砥川は、阪南市の鳥取中や自然田のすぐ東側を流れていますが、この両地域は菟砥川よりもずっと土地が高く、川の近くにあってもこの川の水を農業用水として利用できませんでした。
 1868年(明治初年)鳥取中村の農民、根来紋治郎さんが、この恵まれた豊富な地下水に目をむけ、石油や電力等のエネルギーの未だ登場していなかった時代に地下水を地上で農業用水として利用するヌキズ(抜水)という方法を考案しました。 それまで灌漑用水が少なかったために、畑にしか利用出来なかった農地が次々と水田にかたちを変えていきました。このことで、地域の農民生活がみちがえるほど改善されていったといわれています。
 和泉の国の農民の智恵で考えだされた『ヌキズ』については次号で。
(おかあさんチョット2004年12月号掲載)

農民の智恵 郷土の土地を育てた"ヌキズ"(その2)
 阪南市東鳥取地域は、標高の高い山手側(東)から低い西側の大阪湾側に向かって土地が傾斜しています。ヌキズは、その自然の土地の地形をたくみに利用することに気付いた明治の農民の偉大な叡知のたまものといえます。
 "ヌキズ"を簡単に図で示すと下のようなものです。



 水が欲しいと思っている田畑の山手にある井戸の持ち主に協力をお願いして、図のように井戸の途中から土地の低い方に向かってトンネルをくり抜き、地上に水を取り出して田畑に入れ農業用水として畑を水田に変えていきました。トンネルは長いものだと300〜400 mのものもあったそうです。
 現在のように、電気や石油などエネルギー源の未登場の明治時代に考えつかれた今でも通用するすばらしい人間の知恵ではないでしょうか。
(おかあさんチョット2005年1月号掲載)

農民の智恵 産業記念物"ヌキズ"の作り方について
 前号までに "ヌキズ"という地下水を地上に汲み上げ農業用水として利用する方法を考えついたすばらしい農民の智恵とその施設について勉強しましたが、未だ西洋からのすぐれた土木技術など日本に伝わってきていない時代に、どうやってヌキズのようなトンネル工事が出来たのかということにふれておきます。
 ヌキズが最初に出来たのは、1868年(明治初年)のことでした。その工事の方法は、江戸時代のやり方そのままで、まず夜の間に提灯を灯して明かりの高い低いをスケッチして、なだらかな傾斜にトンネルをつくり、そこに当時この地方で盛んに生産されていた瓦の管を敷きつめ、水の通るトンネルに仕上げました。 とりわけ根来紋次郎さんの作った、現在も阪南市鳥取中(石碑の近く)に残っているヌキズは写真でも確かなように現在も近所の人の生活の中で利用され役立っています。
 100年も前の設備が壊れることなく大切に使われているということはすばらしいことで、阪南市の誇る産業記念物として永く保存しておきたいものです。
(おかあさんチョット2005年2月号掲載)