• 泉州豆知識〜泉南〜 小板屋小十郎の最期
  • 小板谷小十郎の最期
     むかしむかしの事であった。ここ泉州樽井の浜に大勢の人々が集まっていた。材木を一杯に積んだ小板谷の船が白砂青松の浜に寄せるところです。やがて浜へ着いた船から材木がおろされ、直ちに市が開かれ、この材木の取引が行われた。材木を手にした人々は「何せ安うに分けて貰えるさかい大助かりやんけ、小十郎さまさまやで」「おまはん、知らんかったんかいな、小十郎はんは木の葉のお金で材木仕入れてくるんや、そやさけ、何ぼ安う売っても損せんのやがな」「そうかいな、木葉をつかまされた問屋は災難やがな」と口々に噂をした。
     浜から少し陸に進むと馬場の丘陵地帯に入ります。ここに昔からキツネやタヌキがたくさん棲んでいました。その狐のボスが小十郎という。この小十郎という狐はどこか義理堅いところがあり、つねから我々一族が無事に暮らせるのは村人たちのお蔭であろう。何かご恩返しがしたいものよと考えていた。そして思い付いたのが材木屋であった。
     さて、紀州の材木屋問屋は「今日は旨い商いが出来たもんやのし、和泉の小板谷はんとか、今まで聞いた事のないお店やったの~」「旦那はん、そら新たに出来たお店と違いますかのし」「何にしてもあんな上得意さんが出来てあり難い事や、とにかく頂いた千両箱の中身を拝ませて頂こうやよし」開けてびっくり中身は言うまでも無く木葉ばかりであった。狐か狸か知らんけど退治してやろう。という事になった。紀州の材木屋は泉州の材木屋をしらみつぶしに探し始めた。
     このことを知った小十郎は「さいわい材木を売った金があるさかい、この際一族あげてお伊勢参りでもしょうか」十分すぎる路銀を用意しての旅であったが行く先々で大判ふるまいの結果、奈良を過ぎたころには路銀を遣い果たしたのでした。後は奥の一手、木の葉作戦です。小十郎たちが道中、泊まった旅籠は折角もらった宿賃や過分な祝儀が全て木の葉になってしまったため、旅籠の主は「やつらはお伊勢さんに行くのやろ。おそらくどこの旅籠でも悪事を働くに相違あるまい。同業者に呼びかけて不届き物を退治せずばなるまい。」伊勢への道筋の宿場に早飛脚を立てて知らせた。知らせを受けた旅籠の主たちは急いで集まり相談の結果「鼠の天ぷらを食わすと狐はいちころで死ぬ」とのことでこの方法に決まった。
     でたらめな道中を重ねながらやって来たのは宇治山田である。この町は伊勢神宮のお膝元、その賑わいも大変な物であった。勝手気ままな旅を続けて来た小十郎たちはすっかり浮かれ気分になっていた。落ち着いたのはこの町で一二を争う「二見屋」という旅籠であった。「お客さま方、早いお着きで。私どもへお泊り下さいましてありがとうございます。ところで、伊勢の松坂は牛肉で有名なところでございます。晩飯は当二見屋の名物料理、肉団子の天ぷらをご用意しています。ご賞味下さいませ」やがて夕食の準備も整いました。何しろ肉は狐の大好物です。それも天ぷらにしてあるというのだからたまらない。四方八方から大皿に手が伸びて、たちまち鼠のてんぷらをたいらげてしまった。それと殆んど同時に凄まじいばかりの腹痛が起こりドタンバタンと大騒ぎになった。「しもた、あの天ぷらは鼠の肉に違いあらへん。わしら、これまで散々人様を騙してきたけど、とうとう今度は騙されたがな~こうなったからには、もう助かる事はとても無理な相談やろな、これまで精一杯おもろい目してきたんやさかい、おまはんらあきらめてんか」と小十郎は苦しみ騒ぐ一同を必死に宥めつつこれまでの己の行いを深く反省するのであった。やがて小十郎一族はことごとく息を引き取った。
     小十郎たちの無残な最期は風の便りに乗って、泉州馬場の里まで伝わって来た。他所の人達には散々迷惑をかけた小十郎たちであるが、地元では多少なりと貢献しているので「自業自得とはいえ小十郎たちはかわいそうにな」と言う事で村人たちが集まって盛大に弔らった後、極楽密寺の境内へ「小板谷大明神」という小さな社を建てて小板谷小十郎を祭った。
    長慶寺の主と鐘山和尚
     文政の頃(江戸時代後期)長慶寺の側に大きな古池があった。その池に何十年と長く長慶寺の主と言われる雌の大蛇が大勢の手下を従え棲んでいた。その名を「蛇王姫」と言った。 長慶寺の和尚は若くて美男だったので蛇王姫は和尚を誘惑しようとした。
     蛇王姫は「どえらい和尚か知らんけど所詮、若い男やんか、あの方も欲があるに違いあらへん」という事で蛇の神通力で妙齢の美女に変身して、朝早くから法事に出かけた和尚を待ち受けた。 …続きを読む
    ゆきりの租
     信達馬場は水利に恵まれない農村地域であった。江戸時代中期この村に辻井 利佐衛門と言う医師がいた。なかなかの名医師らしく村内のみか、遠方の富家(ふうか)からの往診の依頼も絶えなかった。「こないに立派な先生が何で町へおいでまへんのや」「その腕がもったいないやおまへんか、こんな田舎でくすぶってる法はおまへんがな」と町の金持ち達が進めるのであった。
     実は利佐衛門には一つの信念があった。20数年前利佐衛門が15、6歳の時、 …続きを読む
    鬼木田物語
     昔むかしの事であった。ここは岡中村の百姓、市五郎の家である。女房お松の腹は太鼓のように膨れハアハアと肩で息をしている。暑さきびしい折から傍目にも見るに耐えないものがある。お松の母、お竹は岡のお地蔵さんに安産を一心に祈るのであった。しかしある日の事、「お松が無事にお産しますよう、男児でも女児でも結構でおます。」といった具合に一心不乱に祈った帰りお松を見舞ったのであるが、祈願の甲斐も無くお松は息絶えていた。 …続きを読む
    小栗判官
     二条大納言兼家の嫡子小栗小次郎助重は常軌を外れる事が多い人で、父兼家によって常陸国の流人となった。家来10人を連れて相模の郡代横山大善殿の世話になる。横山殿の娘、照手姫(※1)の稀なる美しさに我を忘れて契りを結んだ。これが横山殿に漏れ伝わり小栗主従は毒殺され土葬される。家来は火葬にされた。
     一方照手姫は牢興に乗せられ相模川に流された。流れ着いた浦の長は慈悲深い人であったが無慈悲な妻によって人買い商人に売られた。更に越後、越中、能登、加賀、越前、若狭と …続きを読む