長慶寺の主と鐘山和尚
 文政の頃(江戸時代後期)長慶寺の側に大きな古池があった。その池に何十年と長く長慶寺の主と言われる雌の大蛇が大勢の手下を従え棲んでいた。その名を「蛇王姫」と言った。 長慶寺の和尚は若くて美男だったので蛇王姫は和尚を誘惑しようとした。
 蛇王姫は「どえらい和尚か知らんけど所詮、若い男やんか、あの方も欲があるに違いあらへん」という事で蛇の神通力で妙齢の美女に変身して、朝早くから法事に出かけた和尚を待ち受けた。 …続きを読む
ゆきりの租
 信達馬場は水利に恵まれない農村地域であった。江戸時代中期この村に辻井 利佐衛門と言う医師がいた。なかなかの名医師らしく村内のみか、遠方の富家(ふうか)からの往診の依頼も絶えなかった。「こないに立派な先生が何で町へおいでまへんのや」「その腕がもったいないやおまへんか、こんな田舎でくすぶってる法はおまへんがな」と町の金持ち達が進めるのであった。
 実は利佐衛門には一つの信念があった。20数年前利佐衛門が15、6歳の時、 …続きを読む
鬼木田物語
 昔むかしの事であった。ここは岡中村の百姓、市五郎の家である。女房お松の腹は太鼓のように膨れハアハアと肩で息をしている。暑さきびしい折から傍目にも見るに耐えないものがある。お松の母、お竹は岡のお地蔵さんに安産を一心に祈るのであった。しかしある日の事、「お松が無事にお産しますよう、男児でも女児でも結構でおます。」といった具合に一心不乱に祈った帰りお松を見舞ったのであるが、祈願の甲斐も無くお松は息絶えていた。 …続きを読む
小板谷小十郎の最期
 むかしむかしの事であった。ここ泉州樽井の浜に大勢の人々が集まっていた。 材木を一杯に積んだ小板谷の船が白砂青松の浜に寄せるところです。 やがて浜へ着いた船から材木がおろされ、直ちに市が開かれ、この材木の取引が行われた。 材木を手にした人々は「何せ安うに分けて貰えるさかい大助かりやんけ、小十郎さまさまやで」 「おまはん、知らんかったんかいな、小十郎はんは木の葉のお金で材木仕入れてくるんや、そやさけ、何ぼ安う売っても損せんのやがな」「そうかいな、木葉をつかまされた問屋は災難 …続きを読む
小栗判官
 二条大納言兼家の嫡子小栗小次郎助重は常軌を外れる事が多い人で、父兼家によって常陸国の流人となった。家来10人を連れて相模の郡代横山大善殿の世話になる。横山殿の娘、照手姫(※1)の稀なる美しさに我を忘れて契りを結んだ。これが横山殿に漏れ伝わり小栗主従は毒殺され土葬される。家来は火葬にされた。
 一方照手姫は牢興に乗せられ相模川に流された。流れ着いた浦の長は慈悲深い人であったが無慈悲な妻によって人買い商人に売られた。更に越後、越中、能登、加賀、越前、若狭と …続きを読む